東京地方裁判所 昭和59年(ワ)5507号 判決 1988年2月24日
原告
秦泰平
他六六名
右原告ら訴訟代理人弁護士
宮里邦雄
同
小野幸治
同
渡辺正雄
同
井上幸夫
同
大野正男
同
倉科直文
被告
日本国有鉄道清算事業団
右代理者理事長
杉浦喬也
右被告訴訟代理人弁護士
西迪雄
右被告訴訟復代理人弁護士
冨田美栄子
右被告指定代理人
小野澤峯藏
他二名
主文
原告らの各請求をいずれも棄却する。
訴訟費用は原告らの負担とする。
事実
第一 当事者の求めた裁判
一 請求の趣旨
1 被告は原告らに対し、それぞれ別紙債権目録(一)及び(二)中の「請求債権額」欄記載の各金員及びこれに対する昭和五九年五月二七日から各完済に至るまで、それぞれ年六分の割合による金員を支払え。
2 訴訟費用は被告の負担とする。
3 第一項につき仮執行宣言
二 請求の趣旨に対する答弁
主文と同旨
第二 当事者の主張
一 請求原因
原告らは、昭和五八年二月ないし三月当時いずれも被告(当時の名称は「日本国有鉄道」である。)の職員であり、そのうち別紙原告目録(一)記載の原告らは当時東京北鉄道管理局池袋電車区(以下単に「池袋電車区」という。)において、同目録(二)記載の原告らは当時東京南鉄道管理局蒲田電車区(以下単に「蒲田電車区」という。)において、それぞれ別紙債権目録(一)及び(二)中の「職名」欄記載の各職務に従事していたものであるが、被告は、原告らに対し、昭和五九年三月二〇日に支給すべき三月分賃金から別紙債権目録(一)及び(二)中の「請求債権額」欄記載の金員を減額控除して、残額を支給した。
よつて、原告らは、被告に対し、雇用契約に基づき減額にかかる別紙債権目録(一)及び(二)中の「請求債権額」欄記載の金員及びこれに対する訴状送達の日の翌日である昭和五九年五月二七日から各完済に至るまで商事法定利率年六分の割合による遅延損害金の支払を求める。
二 請求原因に対する認否
請求原因事実は全部認める。
三 抗弁
当時池袋電車区に勤務していた別紙原告目録(一)記載の原告らの勤務時間は日勤である八時三〇分から一七時五分までであり、蒲田電車区に勤務していた同(二)記載の原告らの勤務時間は日勤である八時二五分から一七時までであつたが、昭和五八年二月一六日から同月二八日までの間、(以下「本件洗身入浴当時」という。)池袋電車区においては、一六時三五分から一七時五分まで、蒲田電車区においては、一六時三〇分から一七時までの各就業時間内に、別紙賃金減額一覧表欠務時間内訳欄記載のとおり洗身施設で洗身入浴したため、被告は、その間、原告らが被告の指揮監督から離脱したものとして、当時施行にかかる職員賃金基準規程二三〇条、二一五条に基づき、洗身入浴に要した時間の合計が三〇分以上一時間三〇分未満の者については一時間分の、一時間三〇分以上二時間三〇分未満の者については二時間分の賃金を減額することとし、原告らに支給すべき三月分の賃金から、その主張にかかる金員を控除したものである。
四 抗弁に対する認否
抗弁事実は全部認める。
五 再抗弁
1 洗身入浴についての労使慣行
(一) 原告らが昭和五八年二月ないし三月当時従事していた作業内容と身体汚染の程度
(1) 原告らの作業内容
① 池袋電車区は、山手線、赤羽線を受持ち線区とし、その業務の一つとして、後記の交番検査、臨時検査及び仕業検査並びにこれに対応する修繕業務を行つていた。また蒲田電車区は、京浜東北線、根岸線、横浜線を受持ち線区とし、その業務の一つとして、後記の交番検査、台車検査、臨時検査及び仕業検査並びにこれに対応する修繕業務を行つていた。
原告らは右各受持ち線区の電車の点検、保守等を業務とするものであり、原告らのうち車両検査係及び車両検査長は主として電車の検査業務に、車両検修係は主として電車の異常ないし不良箇所及び機器の修繕業務にそれぞれ従事していたものである。
② 原告らの車両の検査及び修繕の業務は、所定の運行を終えてあるいは臨時に、電車区内に留置されている車両につき、被告の定める作業内規に従つて行われるもので、その内容は以下のとおりである。
(ア) 交番検査
通常六〇日間使用ないし三万キロメートル走行ごとにパンタグラフ等の特定主要機器につき分解等をして、細部の状態及び作用について検査、修繕を行うものである。
(イ) 台車検査
通常一二か月使用ないし二〇万キロメートル走行ごとに、台車を電車本体から切り離して、主電動機、ブレーキ装置等の特定主要機器を取り外し又は解体のうえ、細部について検査、修繕を行うものである。
(ウ) 臨時検査
以上のような定期検査のほか、車両の故障発生に対応して検査、修繕を行うものである。
(2) 検査、修繕等の作業と身体汚染
① 交番検査における身体汚染状況
(ア) 気吹作業
電動発動機や主電動機フィルターなどに付着した粉塵類を気吹き(圧搾空気を利用して機器や台車に付着した塵埃などを吹き飛ばすこと)する際、粉塵や塵埃が飛び散り、顔や頭髪を汚染するほか、襟口や袖口から粉塵等が衣服内にも侵入して身体に付着し、ヘルメットとマスクを着用していても、汚れを防止できない。
(イ) 上回り電気機器、戸ジメ、車体の検査修繕作業
電車内の塵埃を吸い込んだ羅紗製の椅子を取り外したり、ドアエンジン部分の椅子の下に多量にたまつたごみ等を取り除いたり、油の付着した戸車についたごみを払うなどの作業のため、顔、身体に汚れが付着する。しかも夏は発汗が著しく身体汚染の程度が高い。
(ウ) 台車・走り装置機械一般の検査修繕作業
台車の制輪子の取替作業は、もぐり込むような形になり中腰で作業をしなければならないため周辺機器に接触し、そこには電車走行中の塵埃や制輪子が摩耗した粉塵が付着しており、これらによる身体汚染が避けられない。
テスク制輪子の取替作業は、車体の下にもぐり込んで台車の下で上を見ながら行う作業のため、顔面に塵埃や粉塵が舞い落ち、また襟口や袖口から衣服内にも粉塵等が入り込むのである。
台車周辺の空気ホースの取替作業は、床下と台車の極めて狭い空間に身体を入れ、腹ばいになつて作業を行うため、身体の汚染も著しいものがある。
また、台車部分に使用された各ビン回り、各給油口に給油する作業では、油の汚れが身体に付着するとともに、周辺機器に接触することにより塵埃や粉塵が身体に付着することになる。
(エ) パンタグラフ検査修繕作業
この作業は、検査庫の屋根に近い地上約四メートルのところで行うものであるが、夏には検査庫のスレート屋根が高温となるため、発汗が著しくなる。また、油類による汚れも著しい。
(オ) 主制御器等床下電気機器、回転機の検査修繕作業
主制御装置の検査修繕作業は、銅粉が収納箱に付着しており、清掃・検査作業時に銅粉が舞い、身体に付着する。
主抵抗器の点検作業は、電車走行中高温になる抵抗器を冷却するため外気を取り入れるので装置内に塵埃等が付着しており、清掃・点検作業時に身体が汚染される。
電動発電機及び空気圧縮電動機の検査修繕作業は、いずれも床下の作業であり、周辺の塵埃が身体に付着する。
主電動機の内部清掃、刷子の取替作業は、特に夏は内部温度が高温であるため、発汗が激しい。そのうえ下からの作業に加えて、上からの作業は床下と主電動機の狭い空間にもぐり込み主電動機に腹ばいになるようにして行うため、塵埃付着と発汗とで身体の汚染は著しい。
② 台車検査における身体汚染状況
(ア) 車体と台車を切り離す作業
この作業は、身体を車体と台車の狭いすき間にもぐり込ませ、台車を抱くようにして作業をしなければならないため、埃、油、電車各機器の銅・銀などの摩耗粉、制輪子レジンの摩耗粉などにより、顔、鼻、耳の中、あるいは首筋、頭髪等の身体の汚染を免れない。しかも、夏場は発汗が著しく、当然身体全体の汚れもひどくなる。
また、ピット(地面を掘り下げたところ)に入つて作業を行うため塵埃など付着物を身体に浴び、インパクト(圧搾空気を使いボルトやナットを取りつけ又は取り外しに用いる機具)を使用する際には、圧搾空気が漏れたり、インパクトの先が強烈な勢いで回転するために、飛散する車体や台車の付着物や地面の埃を身体に浴びる。
(イ) モーター、台車枠及び車輪を取り外す作業
台車からモーター等を取り外すのにインパクトを使用するため、前記(ア)と同様に飛散する粉塵を浴びる。
(ウ) モーターの解体作業と清掃
インパクトを使用してモーター各部に取り付けられているボルト及びナット類をはずすために、前記(ア)と同様に飛散する粉塵を浴びる。
(エ) モーターの気吹きによる清掃
モーター清掃のため、モーターを排塵室に入れ圧搾空気を使用して気吹きをし、モーターに付着した塵埃などを吹き飛ばすので、この時に大量の埃、特に刷子の粉塵を浴びる。
(オ) 台車枠の清掃と点検
台車各部の清掃、点検を、気吹き及びワイヤーブラシを使用して行うため、粉塵を浴び、また、給油等のため機械油により身体に油が付着する。
(二) 勤務時間内の洗身慣行の存在
(1) 前記のように車両検査・修繕業務による身体の汚染が著しいものであつたため、被告も全国各地の電車区、機関区等において身体洗浄のための浴場施設を設置すると共に作業終了後、退区時刻前に浴場施設を利用して身体を洗浄することを認めてきたのであり、各電車区等の作業行程も、右のような労使慣行に従つて組み立てられてきた。このように、勤務時間内に身体の汚染を洗浄することは、長年にわたり労使慣行として定着していたのである。
(2) 原告らの勤務する池袋電車区、蒲田電車区においても、以下のとおり、長年にわたつて、勤務時間内の終業時刻三〇分前から洗浄を行うことが労使慣行として定着していたものである。
① 池袋電車区
池袋電車区においては、大正末期に電車区が開設されて以来、終業時刻の三〇分前から洗身施設で身体汚染を洗浄してから退区することが行われてきた。
同電車区における原告らの具体的勤務時間は、八時三〇分出勤、更衣を含む一〇分間の作業準備の後点呼を受けて作業に入り、検査・修繕作業及び記録整理、職場清掃等はすべて一六時三〇分までに終了するよう作業工程が組まれ、一六時三五分から洗身、一七時五分に退区という勤務体制であり、一六時三五分には洗身時間の開始を知らせるため構内にチャイムを鳴らし、それに従つて日勤者は洗身を行つてきたのである。そして、この様な勤務体制についての労使慣行は、昭和五四年六月三〇日に池袋電車区長と国労池袋電車区分会長との交渉により文書で確認されている。
② 蒲田電車区
蒲田電車区においては、既に昭和二〇年代から、終業時刻の三〇分前から洗身施設で身体汚染を洗身して退区することが行われてきた。同電車区における原告らの具体的勤務時間は、八時二五分出勤、一七時退区と定められているが、検査・修繕作業及び記録整理、職場清掃等はすべて一六時三〇分までに終了するよう作業行程が組まれ、一六時三〇分から洗身を行つていたものであり、同時刻になるとチャイムを鳴らし、洗身時間の開始を知らせていた。そして、作業行程表にも一六時三〇分以降の洗身が明記されていた時期もあつた。
(三) 本件労使慣行の合理性
(1) 洗身の必要性
原告ら車両検査、検修係員らの担当する交番検査や台車検査等の業務が身体の著しい汚染を伴うものであることは、前記(一)に述べたとおりであり、この様な原告らの身体汚染の実態からすれば、原告らは作業終了後は身体を洗浄しなければ、公衆に触れあるいは交通機関を利用して帰宅することは困難であり、また、身体汚染の洗浄は原告らの衛生保持上も必要不可欠であり、したがつて、原告らが作業終了後に洗身を行うことが必要であることは明白である。
(2) 実情から見た合理性
まず、池袋電車区、蒲田電車区のいずれにおいても洗身設備と人員の関係から見て全員が洗身を完了するまで相当の時間を必要とせざるを得ない。この点からも、作業ダイヤ終了後の一六時三〇分(蒲田電車区)ないし一六時三五分以降(池袋電車区)に順次洗身を行うことはまつたく自然なことである。
次に、原告らは勤務上の作業があるのにそれを放置して洗身を行つている訳ではなく、これらの電車区においては、夕方のラッシュ時までに電車を間に合わせるためという業務上の必要性から、そもそも検査・修繕作業及び記録整理、職場清掃等はすべて終業時刻の三〇分ないし三五分前までに終了するよう作業行程が組まれており、その後の時間はいわば退区準備時間として行程が組まれ、洗身以外は囲碁や将棋をしたり、テレビを見るとか雑談をするなどして過ごしている時間である。原告らはこのような時間を利用して、洗身を行つていたというにすぎない。
さらに、突発事故等の緊急事態が原告らの洗身時間帯に生起することは実際には滅多にないことであるが、仮にそのような事態がたまたまその時間帯に生じたとしても、泊り勤務の者が臨時検査や故障車にも充分対応できるのである。
(3) 以上のとおり、原告ら車両検査・検修係員が、終業時間前の勤務時間内に洗身を行うことは、その作業内容、衛生上の必要、勤務形態、通勤事情などの諸条件から生まれた必然性、合理性を有するものである。被告自身このような実情を熟知し、勤務時間内の洗身を慣行として長年にわたつて認めてきたのである。
(四) 本件労使慣行の法的効力
(1) 本件労使慣行は、労働契約の基本要素である労働時間に関する慣行であり、労使双方の合意及びその内容を明示した作業行程表等によつて洗身開始時刻が具体的に特定され、被告の管理の下に実施されていたものである。かかる労使慣行は、労使双方の明示の合意に裏付けられ、労働契約の基本要素である労働時間に関する極めて具体的な内容を有しているが故に、原告らと被告との間の労働契約の内容となつていた。すなわち、原告らと被告との間の労働契約において、作業終了後の手待ち時間帯における終業時刻三〇分前からの洗身時間は労働時間とされていたのである。
(2) 被告における労働時間は職種等の違いによつて多種多様で、始業・終業時刻についても各職種ごとに定められており、池袋電車区と蒲田電車区の始業・終業時刻も同一ではない。各電車区における始業・終業時刻やその起算点、終了点に関する事項は就業規則を具体化したもの、もしくは就業規則の細則ともいえる電車区長作成の作業行程表によつて職員に明示されているのである。このように、本件労使慣行は、その内容が作業行程表に明示されており、また、始業・終業時刻を記載して一日の労働時間を定める就業規則の規定を具体化する就業上の規範としての性格を持つていることからして、就業規則と同様の法的効力を有し、労使双方を拘束しているのである。
2 洗身時間についての労働協約
(一) 別紙原告目録(一)記載の原告らは、国鉄労働組合(以下単に「国労」という。)東京地方本部新橋支部池袋電車区分会に属する組合員であつた。
(二) 昭和五四年六月三〇日、池袋電車区において、当時の国労池袋電車区分会長五十川五郎と池袋電車区長長谷川進との間において、一六時三五分から洗身を含む退区準備を開始し一七時五分に退区する旨を確認した「標準作業行程表作成に伴う確認」と題する文書が取り交わされ、さらに昭和五六年一〇月二八日、当時の同区長と同分会長との間で再度右確認の内容を遵守する旨の合意がなされた。
(三) 昭和五四年六月三〇日になされた前記確認は、被告と国労との間において締結された昭和四三年四月一日付けの「現場協議に関する協約」の「現場協議については、当該現場の労働条件に関する事項であつて、当該現場でなければ解決し難いもの及び当該現場で協議することが適当なものについて協議する。」との条項に基づいて、現場協議の結果成立したものである。
(四) ところで、始業及び終業時刻の具体的定め、休憩時間、手待ち時間などの勤務時間の具体的配分は当該現業機関の最高責任者である現場長たる電車区長の権限に属することであり、同区長は、右権限に基づき、現場協議の結果勤務時間内の洗身を承認したものである。したがつて、右合意は法律上有効に成立した労働協約(以下「本件協約」という。)である。
(五) 本件協約は本件賃金減額措置時において有効に存続していたもので、被告は右協約に拘束されていたものであるから、本件賃金減額措置は協約上承認されている時間内洗身を分会の同意なく一方的に否認するものとして、右協約の規範的効力に反し無効である。
六 再抗弁に対する認否
1(一) 再抗弁1(一)(1)の事実は認める。
(二) 同1(一)(2)の事実は否認する。
(三) 同1(二)(1)の事実のうち、被告が電車区や機関区等に浴場施設を設置していることは認めるが、その余は争う。
(四) 同1(二)(2)の事実のうち、冒頭部分は争い、①は池袋電車区が大正末期に開設されたこと、同区において日勤勤務者の勤務時間が、八時三〇分出勤、一七時五分退区と定められていること、過去に一六時三五分にチャイムを鳴らしたことがあることはいずれも認めるが、その余は争い、②は蒲田電車区において日勤勤務者の勤務時間が、八時二五分出勤、一七時退区と定められていること、過去に一六時三〇分にチャイムを鳴らしたことがあることはいずれも認めるが、その余は争う。
(五) 同1(三)、(四)の事実及び主張はいずれも争う。
(六)(1) 原告らの汚染の程度
原告らの作業は通常一般的に著しい汚染を伴うものではなく、現にかかる作業は、従来から被告においてはもとより、他の私企業においても、「汚染職」としての取扱いはなされていない。すなわち、原告らが主張する程度の作業による身体汚染の実態は、被告の職場に限定された特殊なものではなく、一般私企業における工場等の現場作業職場において通常に見られるものであり、これらの企業においては、かかる汚染の除去は、顔、手足の洗浄及び衣服の更衣等によつて十分対処され、勤務時間内洗身入浴などはおよそ考えられない。そして、他の私鉄において、原告らと同様の業務に従事している者に対し、勤務時間内洗身入浴を容認している例はない。ただ、被告においても、特段の事情により異常な体の汚染が発生したような場合には、特に勤務時間内入浴洗身を許可する取扱いの余地を認めており、そのような事情のない場合に、通常一般的に勤務時間内入浴洗身を容認すべき合理性、必要性は何ら存しない。
(2) 勤務時間内洗身入浴の違法性
被告の職員は、本件洗身入浴当時日本国有鉄道法三二条及び日本国有鉄道就業規則一四、一五条によつて、勤務時間が明確に規定され、さらに、同就業規則四、五条において、服務について規定し、法令及び業務上の規定に従い誠実に職務を遂行するとともに、全力をあげて職務に専念しなければならないとされている。したがつて、本件のように勤務時間内に洗身入浴することは被告の指揮監督からの離脱にほかならず、勤務時間の趣旨を否定するとともに、右服務の基準に関する法規に抵触する違法行為で、とうてい許容できない。
のみならず、被告の現業機関である駅、機関区、電車区及び保線区等は、列車の運行に直接関係のある職場であるところから、突発事故等の緊急事態が発生した場合には、早急に措置を求められることがあり、その場合は、関係職員は、直ちに事故の復旧及び列車の運行にかかるそれぞれの担当作業に従事しなければならないから、勤務時間内に洗身入浴することは、右緊急事態に直ちに対応することができないことになり、被告の業務の正常な運営に支障をきたす虞れがある。それゆえ、かかる違法な行為はたとえそれが事実上継続反覆されていたからといつて、慣行として成立する余地はない。
2(一) 同2(一)の事実は認める。
(二) 同2(二)の事実のうち、「標準作業行程表作成に伴う確認」と題する文書の存在することは認めるが、その余は争う。
(三) 同2(三)ないし(五)の事実及び主張はいずれも争う。
(四) 本件池袋電車区における勤務時間内の洗身入浴を認める労使間の確認は実質上勤務時間の短縮にほかならず、かかる措置は、現場機関の長である本件池袋電車区長の権限に属する事項でないことは明白である。
原告らは、右確認は「現場協議に関する協約」に基づき合意されたものとして正当であると主張しているが、右協約においても、現場協議において取り扱いうる事項については「当該現場長の権限と責任の範囲外の事項……を除く」(第七条但書)ことが明記されており、右池袋電車区における前記合意が同区長の権限外の事項として、本来現場協議の対象となりえないことは明らかである。また、右確認は、当時の現場協議等における労働組合の圧力に基づき現場の実態を事実上反映せしめられたものにすぎず、勤務時間内洗身入浴についてその効力を認める論拠にはなりえない。したがつて、本件確認を有効な労働協約と解する余地はない。
七 再々抗弁
1 勤務時間内洗身入浴の是正
仮に、勤務時間内における洗身入浴について原告ら主張の労使慣行もしくはいわゆる慣行的事実が成立ないし存在したとしても、それはいずれもすでに破棄ないし是正されている。
被告は、昭和三九年以降毎年赤字を計上していたが、昭和五五年に至り一兆円を超える赤字を計上するなど未曾有の経営危機に直面していたところ、昭和五六年秋の第九五回臨時国会(いわゆる行革国会)において、被告の職場管理の実態が集中的に取り上げられ、いわゆるヤミ休暇、ヤミ手当など社会常識を逸脱した悪慣行、ヤミ協定の実態が指摘され、これら不当な実態の早急な是正が強く求められるに至つた。そこで、被告は職場秩序の是正をすべく、昭和五七年三月四日に原告らが所属する池袋及び蒲田の各電車区を所轄する東京北及び東京南の各鉄道管理局長において、国労東京地方本部に対し、被告の現状及び正常な労使関係確保の必要性を説いて、勤務時間内洗身入浴による勤務時間の不遵守を是正し、実働を充実すること等の具体的項目を指摘して、それらの是正及び職場規律の確立を求めた。
さらに、右勤務時間内洗身入浴を含む被告の職場規律の乱れについては、昭和五七年七月三〇日の第二次臨時行政調査会基本答申や同年九月二四日の閣議決定においてヤミ協定や悪慣行の是正や現場協議制度の適正な運営に関する措置が求められ、被告はその早急な是正への努力を重ね、勤務時間内洗身入浴についても前記各鉄道管理局の労働課長から国労東京地方本部へ、また各電車区においても区長から右組合分会に対して、それぞれ繰り返し是正を求めたが、勤務時間内洗身入浴については、是正の効果が認められなかつたため、特に同年八月二三日に前記各鉄道管理局の労働課長が国労東京地方本部企画部長に対し、その是正を強く求めたのである。
このような被告における是正の努力の結果、全国的には是正の顕著な効果が認められたが、本件各電車区においては現場管理者の努力にもかかわらず依然としてその是正は進まず、国労は昭和五九年九月二二日に国労闘争指示第一一号を発するなどして違法な勤務時間内洗身入浴に固執した。
右のような経過において、被告の前記各鉄道管理局はこのような職場規律に違反する勤務時間内洗身入浴をいつまでも放置しえないので、これを是正するために、昭和五八年一月二六日に各鉄道管理局の運転部長が国労東京地方本部法対部長に対し、二月上旬から是正を徹底する旨を通知し、同年二月七日に各局総務部長が右地方本部に対し重ねて同旨の通告を行つた。そして、各現場においては、同月八日ころから、業務用掲示板や浴場入口等に「入浴は勤務時間外に限り許可する。」等の掲示をして職員への周知方を徹底し、また、点呼の際にも同趣旨の指示を繰り返してその是正に努めたが、容易に改善されなかつた。そこで、点呼及び作業指示の際に、更に右是正の必要性を徹底させると共に、同月一六日以降に勤務時間内洗身入浴を強行するものについては、管理者の現認を得たうえ、不就労時間について賃金減額措置を実施することを決定し、実行したものである。
したがつて、過去において原告主張のような労使慣行等が成立していたとしても、本件洗身入浴が行われた時点においては、右慣行はすでに明示的に破棄されていたものである。
以上要するに、昭和五七年三月四日に当時東京北及び同南の各管理局長が、原告らが所属する国労東京地方本部に対し、勤務時間に関する法律を確保するため、その具体的是正項目の一つとして勤務時間内洗身入浴の不当性を指摘した申し入れを行い、さらに、同年八月二三日に右各管理局の労働課長が右組合に対し、是正が遅れている五項目の一つとして、重ねてその是正を求める旨通告し、本件池袋及び蒲田の各電車区においても繰り返しその是正を強く求めてきたのである。このように被告は、国労に対して、それまでの悪慣行を廃し、勤務時間内の洗身入浴を許容しえないことを明確に繰り返し通告していたのであるから、勤務時間内における洗身入浴につき労使慣行が成立していたとしても、あるいはまたいわゆる慣行的事実が存在していたとしてもそれはすでに破棄されていたものといわざるを得ない。
2 現場協議に関する協約の失効
原告ら主張にかかる右協約は、その終期を昭和五三年一一月三〇日とするものであるから、同日その効力を失つたものである。したがつて、右協約に依拠する本件協約は無効である。
八 再々抗弁に対する認否及び反論
1 認否
再々抗弁事実はいずれも否認する。
2 反論
(一) 被告は日本国有鉄道法三二条の規定を勤務時間内洗身が違法であるとの根拠にあげるが、同条そのものは勤務時間を規定したというものではなく、一般的、抽象的に、法令及び被告の定める業務上の規定の遵守義務を定め、また、職務専念義務を規定するにとどまるものである。そして、右職務専念義務の規定の性格は、被告と同職員との関係が私法上の労働契約関係であることからしても、労働契約上の当然の義務を一般的、抽象的に確認したものにすぎない。したがつて、労働契約の在り方、就労の方法等について、労使間協議で取り決めたり、慣行によつて行うことを何ら否定するものではないのである。
そもそも作業終了後の具体的な業務指示のない時間に洗身を行うことにつき、職務専念義務規定違反を言うこと自体実情にまつたくそぐわない主張である。また、右時間帯に洗身を行うことを現場長が認めてきたことは、本件勤務時間内洗身について職務専念義務違反を問うものではないことを明確にしてきたものであつた。したがつて、原告らの勤務時間内洗身は右職務専念義務規定に何ら違反するものではない。
なお、被告は勤務時間内の洗身が日本国有鉄道就業規則四条にも反して違法であると主張する。しかし、右就業規則四条の規定の意味についても、右に述べた日本国有鉄道法三二条の規定と同様に解することができ、原告らの勤務時間内の洗身が右就業規則四条の規定に反する違法行為であるとの被告の主張は失当である。
(二) 次に、被告は右就業規則一四条、同一五条によつて勤務時間が規定されていることを、勤務時間内の洗身が違法であるとの根拠にあげている。
しかし、被告の右主張は、労働基準法及び就業規則の意義を没却した不当極まりないものといわねばならない。被告が定める就業規則は労働条件の最低基準を定めるものであるから、慣行の内容が労働者にとつて就業規則より有利な場合は慣行が優先するのであり、そうした慣行が右就業規則に反するもので無効になるということはありえない。
また、被告は勤務時間内の洗身が右就業規則五条の規定に違反するとも主張するが、右に述べたと同様の理由により右被告の主張は失当である。
(三) 再抗弁1(四)(2)で述べたように、勤務時間内洗身の本件労使慣行は、実質的に就業規則としての法的効力を有していたのであるから、これを変更するためには労働基準法九〇条に準じて労働組合の意見を聴かなければならないことはもちろんのこと、本件労使慣行破棄による勤務時間内洗身の禁止は、労働者の既得の権利を奪い労働者に不利益な労働条件を一方的に課するものであるから、本件労使慣行の変更が合理的なものである場合に限り、許されるというべきであり、変更が合理的なものであるか否かの判断にあたつては、変更の内容及び必要性、変更により労働者の被る不利益の程度、不利益変更に伴う代償措置の有無、労使交渉の経過等の諸事情を考慮すべきである。
しかるに、本件労使慣行破棄による勤務時間内洗身の禁止は、手続面においても内容面においてもとうてい合理的なものということはできず、違法不当なものである。第一に、被告は、本件労使慣行の変更について、労使交渉を行わず、現場の労働組合の意見を聴くという手続きもとらずに、一方的な通告によつて勤務時間内洗身を禁止している。第二に、本件労使慣行を変更する業務上の必要性は皆無であり、勤務時間内洗身の禁止は全く不合理な負担と不利益を労働者に課するものである。第三に、本件労使慣行破棄により労働者の既得の権利が奪われ労働条件が不利益に変更されるにもかかわらず、その代償措置は何らとられていない。したがつて、本件労使慣行破棄による勤務時間内洗身の禁止措置は、原告らに対し効力を生じない。
第三 証拠<省略>
理由
一請求原因事実及び抗弁事実はいずれも当事者間に争いがない。
二原告ら主張にかかる洗身入浴についての労使慣行の存否について判断する。
1 先ず池袋及び蒲田両電車区における洗身入浴の実態について検討する。
(一) <証拠>を総合すると、池袋電車区においては遅くとも昭和四八年ころから、日勤者たる検査長、検査係員、検修係員は、当日の具体的作業内容のいかんを問わず、退区時間の三〇分前である一六時三五分から被告が設置した洗身入浴施設で洗身入浴を行つていたが、後記認定の経緯で昭和五八年二月八日ころに池袋電車区長によつてこれを禁止されるまで原告らに対し直接に洗身入浴を禁止する措置はとられていなかつたこと、昭和五四年七月当時、池袋電車区における日勤者の勤務時間は、本件洗身入浴当時と同様八時三〇分から一七時五分までと定められていたが、交番検査の作業日程を具体的に定めた池袋電車区長作成の交番検査標準作業行程表には、当日の担務のいかんを問わず一六時三五分ころまでに工具整理、日報作成を含めすべての作業を終了するように定められており、しかも昭和五七年一〇月ころまではその合図として一六時三五分に始業、終業時刻等と同様ベルまたはチャイムが鳴らされていたこと、また昭和五四年六月三〇日に前記行程表を作成するに際し当時の池袋電車区長長谷川進と国労池袋電車区分会長五十川五郎との間において、作業行程について、日勤者につき一六時三〇分から三五分までの間に終了点検を行い、一六時三五分から一七時五分までの間に洗身入浴を含む退区準備を行うことが確認されており、さらに、昭和五六年一〇月二八日には当時の池袋電車区長中田裕友と前記分会長五十川との間において、右洗身入浴時間等を含む同日までの確認事項を遵守する旨の確認が行われていること、以上の事実が認められる。右事実を総合すると、池袋電車区においては、遅くとも昭和四八年以降電車区長が日勤者たる検査長、検査係員及び検修係員に対し、当日の具体的作業内容のいかんを問わず、時間内である一六時三五分から一七時五分までの間、洗身入浴を認めていたものといわなければならない。
(二) <証拠>を総合すると、蒲田電車区においても、遅くとも昭和三五年ころから、日勤者たる検査長、検査係員、検修係員は、当日の具体的作業内容のいかんを問わず、退区時間の約三〇分前である一六時三〇分から洗身入浴を行つていたが、後記認定の経緯で昭和五八年二月八日ころに蒲田電車区長によつてこれを禁止されるまで、原告らに対し直接に洗身入浴を禁止する措置はとられていなかつたこと、昭和四四年七月当時及び昭和五五年一〇月当時蒲田電車区における日勤者の勤務時間は本件洗身入浴当時と同様に八時二五分から一七時五分までと定められていたが、蒲田電車区長作成にかかる前記と同趣旨の交番検査作業行程表には担務のいかんを問わず一六時三〇分ころまでに工具整理、日誌記録整理を含めすべての作業を終了するように定められており、殊に昭和四四年七月一日に作成された行程表には一六時三〇分から一七時までの間に点呼入浴と記載されていること、しかも池袋電車区と同様昭和五七年一〇月ころまではその合図として一六時三〇分にベル又はチャイムが鳴らされていたこと、以上の事実が認められる。そして右各事実を総合すると、蒲田電車区においても、遅くとも昭和三五年以降同電車区長が日勤者たる検査長、検査係員及び検修係員に対し、当日の具体的作業内容のいかんを問わず、勤務時間内である一六時三〇分から一七時までの間、洗身入浴を認めていたものといわなければならない。
2 そこで、右のような勤務時間内の洗身入浴が本件洗身入浴当時労使双方に対して拘束力を有する慣行となつていたか否かにつき検討する。
<証拠>によれば、遅くとも昭和三三月一一月以降本件洗身入浴当時まで、被告の就業規則一四、一五条には、日勤者の勤務時間につき、始業時刻は八時三〇分、終業時刻は一七時と定められ、業務その他の都合により一時間以内の繰上げ又は繰下げが認められていたほかは、勤務時間そのものを短縮することができる旨の規定は設けられていないことが明らかである。
ところで、勤務時間内の洗身入浴は、通常労務の提供を不可能ならしめ、洗身入浴者は、その間被告の指揮監督から離脱することになるから、勤務時間内の洗身入浴を認めた池袋、蒲田両電車区長の前記取扱いは単なる就業時間の繰上げ、繰下げとは異なり勤務時間を事実上短縮することになり、したがつて、右取扱いは前記就業規則に抵触することになるものといわなければならない。
3 そこで、池袋、蒲田両電車区長による前記取扱いが就業規則の右規定を変更する効力を有するものであるか否か、すなわち右取扱いが労使慣行としての効力を有するか否かについて検討する。
(一) 労使慣行は、それが労働契約の内容となる場合には労働契約としての、就業規則ないし労働協約の解釈基準等としてそれらと一体のものとなるときは就業規則、労働協約としての効力を持つものと解され、その成立のためには、同種行為又は事実が長期間反覆継続されていること、当事者が明示的にこれによることを排斥していないこと及び当該労働条件についてその内容を決定しうる権限を有し、あるいはその取扱いについて一定の裁量権を有するものが、規範意識を有していたことを要するものというべきである。したがつて、当該取扱いが就業規則の規定と抵触する場合において、右取扱いが労使慣行となり得るためには、右就業規則を制定改廃する権限を有するものか、あるいは実質上これと同視し得る者が、当該慣行について規範意識を有していたことを要することになる。したがつて、仮に、右のような権限を有しない者が勤務時間を短縮する取扱いをしたとしても、前記権限を有する者がこれを是認しない限り、右取扱いは就業規則に抵触するものとして法的効力を有する慣行となるものではない。そうすると、かかる者によつて勤務時間の短縮が実施され、それが相当期間に亘り反覆継続していたとしても、これをもつて労使双方を拘束しうる労使慣行が成立していたものということはできない。
(二) そこで、池袋、蒲田両電車区長が勤務時間を短縮する権限を付与されていたか否かについて検討する。
<証拠>によれば、池袋電車区長は昭和五七年五月一日当時において、助役、事務掛、電車運転手等合計三九六名の部下を擁して、これを指揮監督し、蒲田電車区長は昭和五八年二月一日当時において、池袋電車区同様合計四一六名の部下を指揮監督して、それぞれ両電車区における運転業務、検査業務等の所轄業務を遂行していたことが認められるけれども、右証言によれば、電車区長には前記就業規則を改廃あるいは変更し得る権限までは付与されていないこと、したがつて勤務時間を短縮しうる権限を付与されていないことが明らかである。そうすると、両電車区長が前記のように勤務時間内の洗身入浴を認め、右洗身入浴が長期間に亘つて反覆継続していたとしても、就業規則を制定改廃し得る者がこれを明示又は黙示に是認しない限り、法的効力を有する慣行が成立していたものと言うことはできない。
(三) そこで、右権限を有するものが両電車区長の右取扱いを是認していたか否かについて検討する。
証人伊庭昌宏の証言によれば、被告は、池袋、蒲田両電車区において勤務時間内の洗身入浴が開始されたころから、右事実を認識していたことが認められ、また右証言に後記4認定事実を併せ考慮すると、被告は少なくとも昭和五六年一一月ころまでは殆ど見るべき措置をとることもなく、池袋電車区においては約八年間、蒲田電車区においては約二〇年間に亘り右勤務時間内の洗身入浴を放置していたことが明らかである。したがつて、右放置が黙示的に両電車区長の前記取扱いを容認していたものであるとみられるならば、前記洗身入浴は右のとおり相当長期間に亘つて反覆継続しているから、これが労使双方を拘束する効力を有する労使慣行として成立していたと考えられないわけではない。
そこで被告が本件勤務時間内における洗身入浴を容認していたか否かについて検討する。原告らは、原告らが本件洗身入浴当時従事していた作業は著しい身体汚染を伴うものであり、勤務時間内における洗身入浴が、原告らの健康維持等からみて必要不可欠なものであつたことなどを根拠として被告はこれを容認して来たものであり、したがつて右洗身入浴は労使慣行となつていた旨主張する。
よつて先ず右作業に伴う身体汚染の程度等について検討する。
池袋、蒲田の両電車区において原告らが昭和五八年二月ないし三月当時従事していた作業内容については当事者間に争いがない。<証拠>を総合すると、次の事実が認められる。
(1) 交番検査の作業状況と身体汚染
交番検査の作業には、気吹作業、上回り電気機器、戸ジメ、車体の検査修繕作業、台車走り装置機械一般の検査修繕作業、パンタグラフ検査修繕作業、主制御器、床下電気機器、回転機の検査修繕作業、絶縁測定作業、最終確認検査等があり、(ア)特に気吹作業を行う場合には、圧縮空気を利用して電動発電器、空気圧縮電動機フィルター等の機器に付着した塵埃等を吹き飛ばすため、マスクやヘルメットをしていても塵埃、油等により露出している顔、手足を汚染することが多く、(イ)台車走り装置機械一般の検査修繕作業の際には制輪子(ブレーキ)の摩耗した粉塵、給油作業により、右粉塵、油が身体に付着することがあり、空気ホースの取替え作業には腹ばいになる必要があるため汚染の程度が高いこと、(ウ)また主制御装置等の検査修繕作業により銅粉が付着し、空気圧縮電動機の検査修繕作業、主電動機内部の清掃の際には高温に伴う発汗により汚染の程度が高くなること、(エ)その他車体、パンタグラフの各検査修繕作業の際にも顔面、手足に汚染を生ずることが認められる。
(2) 台車検査の作業状況と身体汚染
台車検査は車体を持ち上げて、台車そのものをモーターも含めて解体して各部を検査、修繕し、その後組み立てるものである。その内容は、車体と台車を切り離す作業、台車からモーター、台車枠及び車輪を取り外す作業、モーターの解体作業と清掃、モーターの気吹きによる清掃作業、台車枠の清掃と点検作業、車軸から軸箱を取り外す作業及び車軸の清掃、検査作業等があり、(ア)車体と台車を切り離す作業、台車からモーター、車輪を取り外す作業にはインパクトを使用するため各機器の銅、銀の摩耗粉が飛散し、顔面、毛髪が汚染することがあり、(イ)モーターの解体作業にはインパクトを使用し、さらに気吹きを行うため身体が汚染すること、(ウ)台車枠の清掃、車軸の清掃、検査の際には気吹きを行い、軽油を使用したりするため塵埃や油により身体の露出部が汚染することが認められる。
右のとおり、本件検査、修繕等の作業はその内容により汚染の程度に差があるが、一般的には交番検査より台車検査の方が身体汚染の程度が高く、また気吹き作業やインパクトを使用する作業では、塵埃、砂塵、油などにより衣服及び露出している顔や手足が相当程度汚れるものとはいいうる。しかしながら、これらの作業が全般的に著しい汚染を伴うものであるとまではいい難く、その汚染の除去は、顔、手足の洗浄及び衣服の更衣等によつて十分可能なものである。
のみならず、<証拠>によると、小田急電鉄株式会社等在京鉄道七社は、いずれも企業内に洗身入浴施設を設置しているにもかかわらず、原告らと職務内容を同じくする作業員に対して勤務時間内の洗身入浴を許可していない事実が認められる。
しかして、前記争いのない事実及び前記認定の事実にこの事実を併せ考えると交番検査のみに従事する池袋電車区所属の原告らよりも、交番検査及び台車検査に従事する蒲田電車区所属の原告らの身体汚染の程度がやや高いとはいい得るが、そのいずれにおいても、本件洗身入浴当時原告らが従事していた作業が勤務時間内の洗身入浴を許さなければならないほどの著しい汚染を伴うものであつたということはできない。
<証拠>中右認定に反する部分は措信しない。
なお、労働安全衛生規則六二五条は、事業者に対し、身体を汚染する恐れのある業務に労働者を従事させるときは、洗身設備の設置及び用具の備え付けを義務付けてはいるが、右規定は必ずしもかかる設備の勤務時間内における使用を義務付けるものではないから、右条項が存在することを理由として、勤務時間内の洗身入浴を正当化することはできない。
また、原告らは、池袋電車区においては一六時三五分以後、蒲田電車区においては一六時三〇分以後は退区準備時間であり、原告らはその時間を利用して洗身入浴をしただけであり、さらに、仮に洗身入浴時間帯に緊急事態が生じた場合には泊り勤務者がこれに対処し得るから右洗身入浴に不合理な点はない旨主張するが、退区準備時間中といえども原告らが被告の指揮命令系統からの離脱を許されないことは多言を要しないところであり、また泊り勤務者が緊急事態に対処し得たとしても、原告らがその職務を果たさなかつたことになることに変りはないから、原告らの右主張は失当である。
そうすると、原告らの従事する作業が著しい身体汚染を伴うものであり、勤務時間内の洗身入浴が必要不可欠なものであつたことなどを理由とする原告らの主張はその前提を欠くことになり、理由がない。
他に被告が勤務時間内における洗身入浴を容認していたことを認めるに足りる証拠はない。
のみならず、証人伊庭昌宏の証言に弁論の全趣旨を総合すると、勤務時間内における洗身入浴が開始されたころより、被告は右洗身入浴が就業規則に抵触するものであり、早急にこれを是正しなければならないものと考えていたが、当時被告においては、業務命令系統の整備等、勤務時間内の入浴問題の是正に先立つて緊急に是正しなければならない問題があつたことや、当時の被告における最大の労働組合である国労との紛争をできる限り避けるための配慮から前記昭和五六年一一月ころまで特別の措置をとらなかつたものであることが認められる。したがつて、被告が、勤務時間内の洗身入浴を認めた両電車区長の前記措置を明示または黙示に承認していたということは未だできない。
(四) 以上の次第で、池袋、蒲田両電車区長において勤務時間内の洗身入浴を認め、それに従つて右両電車区に勤務する原告ら従業員が相当期間に亘り慣行的に勤務時間内の洗身入浴を繰り返していたとしても、本件洗身入浴当時右両電車区において勤務時間内における洗身入浴が法的効力を有する労使慣行として成立していたものということはできない。
4 しかしながら、勤務時間内の洗身入浴につき被告は右のように違法の認識を有していたとはいえ、長年に亘り効果的な対策もとらないままこれを放置して来たこともまた既述のとおりであり、いわば慣行的事実が存在していたといい得ないわけではなく、かかる経緯に鑑みると被告において右洗身入浴に対し賃金控除の措置をとるのであれば、右洗身入浴が違法なものであることを原告ら従業員に周知せしめる必要があつたものといわなければならない。そこで被告が右につき適切な措置をとつたか否かについて検討する。
<証拠>を総合すると、被告は、前記3(三)記載のとおり勤務時間内の洗身入浴を就業規則に抵触する違法なものと認識し、昭和五四年当時から改善策を検討してはいたが、前記のように被告においては当時入浴問題に先立つて緊急に解決しなければならない問題があり、かつまた職場における労使の力関係もあつて効果的な措置を採れないまま推移するうち、昭和五六年九月に召集された第九五回臨時国会において、勤務時間内の洗身入浴を含む被告の職場規律の乱れが指摘され、かつその是正が強く求められたことや、報道機関をはじめ各方面からの批判が加えられるに至つたため、昭和五六年一一月九日に被告の本社職員局長が各地方の被告の業務を統括する各鉄道管理局長等に宛て、違法な慣行の廃止等職場規律の確立のため是正措置を講ずるよう求め、昭和五七年三月四日には東京南及び北の両鉄道管理局長が国労をはじめとする各組合の執行委員長に対し、勤務時間等に関する違法な慣行の廃止、改善についてその協力方を求めていること、さらに、被告は、同月四日の運輸大臣の指示を受けて、同月五日職場規律の総点検と是正を下部の管理機関に指示したところ、右点検の結果、同月当時勤務時間内の洗身入浴が行われていた事業所は全事業所の三八パーセントにあたる一六七七か所に及んでおり、是正の効果が不十分であつたこと、そこで、同年八月二三日には東京東、南、北の各鉄道管理局の労働課長が国労東京地方本部等に対し、規律是正の遅れている五項目の一として勤務時間内の洗身入浴を挙げ強くその是正を求めていること、しかしながら、その結果は被告の意図したほどではなく、同年九月の時点でも勤務時間内に洗身入浴を行つていた事業所は五八三か所に及んでいたばかりか、同月二二日には国労が国労闘争指示第一一号を発するなどして勤務時間内の洗身入浴に固執し、勤務時間内の洗身入浴を廃止しようとする被告の方針と対決する姿勢をより明確に打ち出したこと、そこで、昭和五八年一月には前記各鉄道管理局の運転部長が、また同年二月には同総務部長が、国労東京地方本部に対し勤務時間内の洗身入浴の是正を求め、さらに本件両電車区長等において原告ら職員に対し点呼時等に右是正を訴えるとともに、同月八日ころから浴場入口等に同月一六日以降は勤務時間外に限り洗身入浴を許可する旨の掲示をしたこと、しかしなお勤務時間内に洗身入浴する者が絶えなかつたため、同月一八日右同様勤務時間内の洗身入浴を強く禁止するとともに、同日洗身入浴者があれば、翌一九日以降一六時から一七時又は一七時五分までの間入浴施設に鎖錠する旨の告知を、次いで同月二二日には一三時から一七時又は一七時五分まで入浴施設に鎖錠する旨の告知をそれぞれ掲示し、さらに池袋電車区においては、同月二五日、三月四日にも重ねて勤務時間内の洗身入浴を禁止する旨の告知を掲示し、蒲田電車区においても、二月二四日、三月四日、同月九日に同趣旨の掲示をしたこと、以上の事実が認められる。
しかして、昭和五六年後半から昭和五八年二月初めまでに被告が勤務時間内の洗身入浴に対してとつた措置は右の二月八日ころ以降の原告ら従業員に対する直接の告知を除いては、すべて関係機関に対する命令ないしは指示、国労を含む各労働組合に対する要求ないし要望にとどまるものというべきであつて、本件のような賃金控除の警告のための措置としては十分なものとはいい難いところである。しかしながら、また右認定事実によれば、被告は、遅くとも昭和五八年二月八日ころには原告らに対し直接同月一六日以降における勤務時間内の洗身入浴を禁止する旨告知しており、右告知は、その内容から見て賃金控除を行うための警告として欠けるところはないものといわなければならない。しかるに、原告らは、被告の右警告を無視し、既述のとおり勤務時間内における洗身入浴を強行したのであるから、被告がその主張にかかる賃金控除の措置をとつたとしても不当ではない。
5 なお、原告らは、勤務時間内の洗身入浴は労使慣行であるにもかかわらず、被告は、何らの合理的理由もないままこれを禁止し、また右禁止につき労働組合の意見を徴すべきであるにかかわらず、かかる措置をとつていない等と主張するが、右洗身入浴が未だ労使慣行に至つていないことは前記のとおりであるから、本件洗身入浴が労使慣行であることを前提とする原告らの主張はその余の点につき判断するまでもなく理由がない。
のみならず、被告は前記のように昭和五七年三月四日以来繰り返し勤務時間内における洗身入浴の是正を求め、昭和五八年二月一六日以降は明確にこれを禁止していることが明らかであり、また勤務時間内の洗身入浴はその必要性が少なく、就業規則に抵触するものであること前述のとおりであるから、これが是正を求めることは合理的理由があるといわなければならない。
6 以上説示のとおり、勤務時間内における洗身入浴は未だ労使双方を拘束する慣行となつていたとはいえないから、右洗身入浴が労使慣行であることを前提とする原告らのその余の主張はその余の点を検討するまでもなく理由がない。
三次に、池袋電車区における洗身時間についての労働協約の成否について判断する。
<証拠>によれば、池袋電車区においては、昭和五四年六月三〇日に当時の池袋電車区長長谷川進と国労池袋電車区分会長五十川五郎との間で前記勤務時間内の洗身入浴を認める「標準作業行程表作成に伴う確認」と題する書面が取り交わされ、昭和五六年一〇月二八日には当時の池袋電車区長中田裕友と池袋電車区分会長五十川五郎との間で従来の勤務時間内の洗身入浴を認めることを確認する旨の「確認」と題する書面が取り交わされたことが認められる。しかしながら、本来、労働協約は協約締結権限を有する者によつて締結されなければ、その効力を有しないことは言うまでもないところである。
そこで、右池袋電車区長二名が右労働協約を締結する権限を有していたか否かにつき検討するに、同区長らに就業規則を制定改廃する権限が付与されていなかつたことはさきに認定したとおりである。そしてまた、被告が同区長らに対し、実質的に就業規則の改正をもたらすことになる労働協約の締結権限についても、これを付与したことを認めるに足りる証拠はない。したがつて、同区長が前記確認書に署名押印し、前記のような確認を行つたからといつて、右確認が労働協約としての効力を持つものではない。
なお、原告らは、この点に関し、勤務時間の具体的配分は現場長たる池袋電車区長の権限に属するものであり、勤務時間内における洗身入浴を認めるか否かは、勤務時間の具体的配分にかかる事項であるが、かかる事項については、前記現場協議に関する協約七条により、電車区長に契約締結権限が付与されていた旨主張する。そして、成立に争いのない甲第七、第八号証によると、被告と国労との間において昭和四三年四月一日に締結された現場協議に関する協約七条には「現場協議においては、当該現場の労働条件に関する事項であつて、当該現場でなければ解決し難いもの及び当該現場で協議することが適当なものについて協議する。」と規定されており、しかも原告ら主張にかかる確認は、池袋電車区における労働時間に関するものであるから、現場協議に関する協約七条にいう当該現場の労働条件に関する事項ということができ、池袋電車区長が原告ら主張にかかる確認を交わす権限を有していたかのごとく解されないわけではない。しかしながら、他方同条但書には「当該現場の長の権限と責任の範囲外の事項、苦情処理手続の取扱事項及び労働安全衛生委員会に付議されている事項を除く。」と規定されており、勤務時間内の洗身入浴が就業規則に抵触するものであること及び池袋電車区長が勤務時間を短縮する権限を有しないことは前記のとおりであるから、右権限が同区長に属することを前提とする原告らの主張は理由がない。したがつて、本件各確認を有効な労働協約ないし労使間の協議ということはできない。
四以上の次第で、原告らの請求はいずれも理由がないからこれを棄却することとし、訴訟費用の負担について民事訴訟法八九条、九三条一項を適用して、主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官福井厚士 裁判官畔栁正義 裁判官酒井正史)
別紙当事者目録(一)(二)<省略>
別紙債権目録(一)(二)<省略>
別紙賃金減額一覧表<省略>